娘には、ADHD、ASD、LDの診断はありません。けれど私は、ずっと「この子は、ただの育てにくい子という言葉では説明できない」と感じてきました。
勉強は驚くほど早く理解します。幼い頃から文字や数字を吸収し、4歳頃には大人のような言葉で自分の考えを話すことがありました。田中ビネー知能検査の結果はIQ145でした。
その一方で、常に何かをしたがり、感情が激しく、友達との遊び方にも難しさがあります。
診断名で検索しても、すべてが当てはまるわけではない。だからといって、「頭がいいなら問題ない」とも思えません。
この記事では、どの名前にもぴったり当てはまらない娘を育てて感じたことを書きます。
※この記事は、わが家の体験をもとにしたもので、発達障害の有無を自己判断するための記事ではありません。心配な状態が続く場合は、医療機関や学校、自治体の相談窓口など専門家へ相談してください。
「診断がない」と「困っていない」は同じではない
診断は、専門家が基準に基づいて行うものです。
親がインターネット上の特徴を見て、「ADHDではない」「ASDではない」と完全に判断できるものではありません。
同時に、診断名がついていないからといって、家庭や学校での困りごとまで存在しないことになるわけでもありません。
WHOのICF(国際生活機能分類)は、人の状態を病名だけでなく、心身機能、活動、社会参加、環境との関係から捉える枠組みです。
参考:WHO「International Classification of Functioning, Disability and Health(ICF)」
この考え方を知ってから、私は「何という名前なのか」だけでなく、
- どの場面で本人が困っているか
- 家族や友達にどんな影響があるか
- 環境を変えると楽になるか
- どんな助けがあれば参加できるか
を見ることが大切なのだと思うようになりました。
わが家が「普通の子とは少し違う」と感じたこと
1歳頃から昼寝をせず、常に活動を求めた
娘は1歳頃からほとんど昼寝をせず、起きている間はいつも何かをしたがりました。
休日にも「今日は何をするの?」と予定を求めます。遊びであっても、次から次へと刺激や活動が必要なように見えました。
元気な子、好奇心旺盛な子と言えば、そのとおりです。
けれど、毎日その活動量に付き合う親にとっては、単に「賢くて好奇心がある」という明るい言葉だけでは表せない大変さがありました。
何を教えても早いのに、生活ではつまずく
文字や数字は、自分からどんどん覚えていきました。勉強を教える場面では、「もうわかったの?」と驚くことが何度もあります。
ところが友達との場面では、自分の遊びについてきてほしい気持ちが強く、相手が別のことをしたがっているサインに気づかないことがあります。

親としては、「こんなに難しいことがわかるのに、どうしてこれはわからないの?」と思ってしまいます。
しかし、知識を理解する力と、自分の気持ちを調整したり、相手と交渉したりする力は同じ速さで育つとは限りません。
できる部分が目立つほど、できない部分を本人のわがままや努力不足だと思いやすくなることに気づきました。
繊細なのに、人の気持ちをいつも読めるわけではない
娘は、昔叱られたことを何年も覚えています。友達に笑われたと感じれば、深く傷つきます。
その一方で、自分が夢中になっているときには、相手が嫌がっていることに気づけない場合があります。
「傷つきやすいなら、相手の気持ちにも敏感なはず」と考えると矛盾して見えます。けれど、本人の中で強く感じることと、刻々と変わる対人サインを読むことは別です。
娘を一つの特徴で説明しようとするほど、実際の姿から遠ざかってしまいました。
正しさや勝ち負けへの思いが強い
ルールを守らない子を見ると、すぐ先生に伝えます。追いかけっこで負けたり、笑われたりすると、悔しさを強く引きずります。
正義感、負けず嫌い、プライドが高い。どの言葉も一部は合っています。
でも、その一言だけで終わらせると、「なぜその場面でそこまで苦しくなったのか」が見えなくなります。親として、ここは取りこぼしてはいけない娘からのSOSだと感じました。
強みがあると、困りごとが見えにくくなることがある
ギフテッド教育の分野には、「2E(twice-exceptional)」という考え方があります。高い能力と、障害や学習上の困難をあわせ持つ子どもを指す言葉です。
NAGC(全米ギフテッド児協会)の資料では、強みが困難を隠したり、困難が強みを隠したりするため、両方が見逃されることがあると説明されています。
参考:NAGC「Identifying and Serving Gifted Children Who Are Twice-Exceptional」
ここで強調したいのは、娘が2Eだと私が判断しているわけではないということです。娘には現在、発達障害や学習障害の診断はありません。
それでも「できることが多いから、困っているように見えない」という仕組みは、診断の有無にかかわらず起こり得ると感じます。
授業が理解できる。言葉で説明できる。先生の前では我慢できる。
そのため学校では問題なく見えても、家に帰ってから感情があふれることがあります。
反対に、感情の激しさや友達との衝突ばかりが注目されると、本人の理解力や表現力が見えにくくなることもあります。
困りごとと強みを、どちらか一方で説明しないことが大切だと思います。
診断名がない子の困りごとを、どう整理するか
子どもの性格ではなく「場面」で記録する
「繊細」「頑固」「多動っぽい」といった言葉だけでは、人によって受け取り方が変わります。
そこで、次のように具体的な場面で整理します。
- いつ起きたか
- その直前に何があったか
- 本人は何と言ったか
- どのくらい続いたか
- 何をすると落ち着いたか
- 家庭と学校の両方で起きるか
たとえば「プライドが高い」ではなく、「遊びで負けたあと、バカにされたと話し、帰宅後も30分泣いた」と書きます。
この形なら、学校や専門家へ相談するときにも伝わりやすくなります。
「できないこと」だけでなく、条件が変わるとできるかを見る
集団では難しくても、一対一なら話せる。
急に予定が変わると混乱するが、先に伝えると対応できる。
その場では言えないが、あとから文章なら説明できる。
こうした違いがわかれば、子どもを責める以外の方法が見つかります。
「本人に能力がない」のではなく、力を出せる条件が限られている場合もあります。
学校にはラベルより、必要な助けを伝える
診断名がないと、先生へ相談してはいけないような気持ちになることがあります。
しかし、家庭で見えている事実を伝えることはできます。
「ギフテッドなので配慮してください」だけではなく、
- 人前では我慢し、帰宅後に感情が強く出る
- 笑われたと受け取ると、出来事を長く引きずる
- 口頭では整理できないとき、メモなら伝えられる
- まず話を最後まで聞いてもらうと落ち着きやすい
など、学校で役立つ情報にします。
相談することは、診断名をつけることだけではない
「相談したら、すぐ何かの診断をつけられるのでは」と不安になる親もいると思います。
しかし、発達についての相談は、診断名を決めるためだけのものではありません。
米国小児科学会は、日常的に子どもの発達を観察する「発達サーベイランス」と、必要に応じた標準化されたスクリーニングや紹介を区別しています。保護者から心配が示されたときは、その心配を具体的に確認し、必要なら評価につなげることを勧めています。
参考:American Academy of Pediatrics「Developmental Surveillance and Screening」
私は、困りごとが次のような状態になったら、ギフテッドの特徴だけで説明せず、専門家へ相談することも必要だと考えています。
- 食事、睡眠、登校など生活に大きな影響が出る
- 本人が強い苦痛を訴え続ける
- 友達とのトラブルが繰り返される
- 家族だけでは対応しきれない
- 学校と家庭で見え方が大きく違い、本人が疲弊している
相談した結果、診断がつかないこともあります。それでも、具体的な対応を一緒に考えてもらえるなら意味があります。
「普通か、発達障害か」の二択ではなかった
以前の私は、娘のことを理解したくて、ADHD、ASD、HSC、ギフテッドなど、さまざまな言葉を調べました。
どれか一つに当てはまれば、育てにくさの理由がわかり、正解の対応が見つかる気がしたからです。
けれど、娘はどの説明にも完全には収まりませんでした。
今は、「普通の子か、何かの診断がある子か」という二択そのものが、娘を見るには粗すぎたのだと思っています。
- 勉強をすぐ理解できること。
- 常に何かをしたいこと。
- 言葉や感覚を強く受け取ること。
- 自分の考えを通したくなること。
- 友達が大好きなのに、相手に合わせるのが苦手なこと。
これらはすべて、同じ娘の姿です。
名前がつかなくても、困っている場面には助けが必要です。反対に、困りごとがあっても、できることや魅力まで問題として扱う必要はありません。
診断名を探すことより先に、目の前で何が起きているのかを見る。それが、今のわが家の出発点になっています。
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